花すすき招くはさがと知りながら
とどまるものは心なりけり
- 歌の意味
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花すすきが手招きするのは、すすきの性分だと知っていながら、それでもこの嵯峨野に引きとめられるのは、私の心であった。
- 鑑賞
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巻第四 秋歌上 268
詞書「法輪寺に詣で侍りけるに、嵯峨野の花を見てよめる」
嵯峨の法輪寺に参詣した折に、嵯峨野の秋の花を見て詠んだ歌である。花すすきが風に揺れて手招きするのは、そういう性分だからにすぎないと知っていながら、それでもこの嵯峨野にとどまってしまうのは、私の心であった、と詠む。地名の「嵯峨」に性分の意の「さが」を掛け、招かれたわけでもないのに去りがたい嵯峨野の秋の趣を表している。
作者の「道命法師」は右大将藤原道綱の子で、天台宗の僧となり、天王寺別当を務めた。美声で読経したことで知られ、和泉式部との交流も伝えられる。
法輪寺は嵯峨の嵐山にある寺である。本巻の第二百五十六首「心ぞとまる」、第二百五十七首「宿にとまる」に続き、本歌も秋の野に心がとどめられるさまを詠む。
初句「花すすき」は、穂の出たすすきで、風に揺れる穂を手招きに見立てる。
二句「招くはさがと」の「さが」は、地名の「嵯峨」と、生まれつきの性質の意の「性」とを掛ける。すすきが招くのはその性分だと、の意となる。
三句「知りながら」は、知っていながら、の意である。
四句「とどまるものは」は、引きとめられるものは、の意である。本巻の第二百五十六首「心ぞとまる」と同じく、秋の野に心がとどめられることを詠む。
結句「心なりけり」の「けり」は気づきを表す。すすきの招きを性分と知りつつ、とどまるのは自分の心であったと気づく。
さが:地名の「嵯峨」と、生まれつきの性質の意の「性」を掛ける
まねく:手招きする、すすきの穂が風に揺れるさまを見立てる
- 作者
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道命
- 出典
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千載和歌集
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おほかたの露には何のなるならむ 袂に置くは涙なりけり
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時しもあれ秋ふるさとに来て見れば 庭は野辺ともなりにけるかな