おほかたの露には何のなるならむ
袂に置くは涙なりけり
- 歌の意味
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世間一般の露には、何がなるのだろうか。私の袂に置く露は、涙であったよ。
- 鑑賞
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巻第四 秋歌上 267
詞書は前の歌に続き「題しらず」
世間一般に置く露は、いったい何がなったものなのだろうか、自分の袂に置く露は、まぎれもなく涙であった、と詠む。袂の露を涙と見る伝統的な見立てを、ほかの露の正体を問う形で逆から言い表し、秋の物思いに流す涙の多さを率直に示している。
作者の「円位法師」は西行である。俗名を佐藤義清といい、鳥羽院の北面の武士であったが、二十三歳で出家した。諸国を旅して多くの歌を詠み、円位とも号した。
本巻の第二百六十四首、第二百六十六首に続いて袂の露を詠み、露の歌の一連を結んでいる。また本巻の第二百九十九首も「おほかたの」で詠み起こし、世間一般の秋とわが身とを対比する。
初句「おほかたの」は、世間一般の、普通の、の意である。三句以下の「袂に置く」露と対比される。本巻の第二百九十九首も同じ初句を置く。
二句「露には何の」は、露には何が、の意で、露の正体を問う。
三句「なるならむ」の「なる」は、なる意の動詞の連体形、「ならむ」は断定の助動詞「なり」に推量の「む」が付いたもので、何がなったものなのだろうか、の意となる。ここで句切れとなる。
四句「袂に置くは」は、袂に置く露は、の意である。本巻の第二百六十四首「袂にかかる」、第二百六十六首「袂よりこそ」と袂を共有する。
結句「涙なりけり」の「けり」は気づきを表す。袂の露が涙であったと言い切り、露の歌の一連を閉じる。
おく:露や霜が降りる
- 作者
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西行
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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夕まぐれ荻吹く風の音聞けば 袂よりこそ露はこぼるれ
- 次の歌
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花すすき招くはさがと知りながら とどまるものは心なりけり