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かかりける涙と人も見るばかり
しぼらじ袖よ朽ち果てねただ

歌の意味
これほどの涙であったのだと、あの人にもわかるほどになるまで、袖よ、私はお前を絞るまい。いっそのこと朽ち果ててしまえ。
鑑賞
巻第十二 恋歌二 707

詞書「白河院三条殿におはしましける時、男ども恋の歌詠み侍りけるに詠める」
 白河院が三条殿にいらした時、男たちが恋の歌を詠んだ折に詠んだ歌である。これほどの涙であったのだと相手にも見てわかるほどになるまで、袖を絞るまい、袖よ、いっそ朽ち果ててしまえ、と詠む。涙に濡れた袖を絞らずに朽ちさせることで、自分の思いの深さを形として相手に示そうとする、激しい恋情の歌である。
 作者の「前中納言雅兼」は源雅兼である。右大臣源顕房の子で、権中納言に至った。
 本巻の第七百六十一首は、本歌と同じ初句「かかりける」で始まる。
 なお本文の四句は「しはらし」とあり、読み仮名の行の「しほらし」と一致しない。本文の「しはらし」では意味をなさないため、本文の「は」は「ほ」の誤写と見て、ここでは読み仮名の行に従い「しぼらじ」と解する。

 初句「かかりける」は、このようであった、の意で、二句の「涙」にかかり、これほどの涙であった、という意となる。本巻の第七百六十一首も同じ初句で始まる。
 二句「涙と人も」の「人」は恋の相手をいう。相手にも、これほどの涙であったと、の意である。
 三句「見るばかり」の「ばかり」は程度を表す副助詞で、見てわかるほどに、の意である。
 四句「しぼらじ袖よ」の「じ」は打消し意志の助動詞で、絞るまい、の意である。「袖よ」と袖に呼びかける。ここで句切れとなる。
 結句「朽ち果てねただ」の「ね」は完了の助動詞「ぬ」の命令形で、朽ち果ててしまえ、の意である。「ただ」は、いっそ、ひたすら、の意で、倒置によって結句の末に置かれ、思いの激しさを強める。

しぼる:濡れた袖を絞って水気を切る
くちはつ:すっかり朽ちてしまう
作者
源雅兼
出典
千載和歌集
前の歌
恋ひ初めし人はかくこそつれなけれ 我が涙しも色変はるらん
次の歌
憂かりける人を初瀬の山おろしよ はげしかれとは祈らぬものを