嬉しさをかへすがへすも包むべき
苔の袂の狭くもあるかな
- 歌の意味
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このうれしさを、くり返しくり返し包み込みたいのに、出家した私の苔の衣の袂は、なんと狭いことだろう。
- 鑑賞
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巻第十七 雑歌中 1156
詞書「頭下ろし侍りて後、前中納言雅頼まだ小男に侍りける時、初めて昇殿申させ侍りけるを、許されて侍りければ、詠みて奏せさせ侍りける」
作者が出家した後、子の源雅頼がまだ少年であったころ、初めての昇殿を願い出させたところ許されたので、詠んで天皇に奏上させた歌である。このうれしさを返す返すも包むべき苔の袂の狭いことだ、と詠む。子が昇殿を許された喜びはあまりに大きく、何度でも袂に包んでおきたいが、出家した身の粗末な僧衣の袂は狭くて包みきれないと、親としての喜びの大きさと、帝の恩への感謝を表している。
作者の「入道前中納言雅兼」は源雅兼である。右大臣源顕房の子で、権中納言に至り、のちに出家した。源雅頼の父にあたる。
喜びを袂に包むという発想は、『古今和歌集』雑歌上の「嬉しきを何に包まむ唐衣袂ゆたかに裁てと言はましを」に通う。次歌の第千百五十七首と初句「嬉しさを」を共有し、ともに殿上に昇る喜びを袖に包むことを詠む。
初句「嬉しさを」は、子が昇殿を許されたうれしさを、の意である。次歌の第千百五十七首と同じ初句である。
二句「かへすがへすも」は、くり返しくり返し、の意で、袂を翻す意を響かせている。
三句「包むべき」は、包むはずの、包みたい、の意である。次歌の第千百五十七首の三句「包むかな」と「包む」を共有する。
四句「苔の袂の」は、苔の衣、すなわち僧衣の袂の、の意で、出家した身を言う。
結句「狭くもあるかな」は、狭いことだ、の意で、「かな」は詠嘆の終助詞である。
しようでん:清涼殿の殿上の間に昇ることを許されること
こをとこ:年少の男子
こけのたもと:苔の衣の袂、僧衣の袂
- 作者
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源雅兼
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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散り積もる苔の下にも桜花 惜しむ心やなほ残るらん
- 次の歌
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嬉しさをよその袖まで包むかな たちかへりぬる天の羽衣