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あまた度ゆきあふさかの関水に
今は限りの影ぞ悲しき

歌の意味
何度も行き来しては通った逢坂の関の清水に、これが最後と映る我が姿が悲しい。
鑑賞
巻第十七 雑歌中 1057

詞書「石山にたびたび詣で給ひけるを、果ての日、関の清水のもとに御車をとどめて、この度ばかりやと、心細く御覧じて、詠ませ給うける」
 たびたび石山寺に参詣していたが、その最後の日に逢坂の関の清水のほとりに車を止め、参詣もこれが最後であろうかと心細くご覧になって詠まれた歌である。何度も行き来した逢坂の関の清水に、これが最後と映る姿が悲しい、と詠む。幾度となく通った道の清水に映る自分の姿を、もう二度と見ることはないだろうと思い、命の終わりを予感する悲しみを込めている。
 作者の「東三条院」は藤原詮子である。藤原兼家の娘で、円融天皇の女御となって一条天皇を生んだ。出家して東三条院の院号を受け、女院の最初の例となった。

 初句「あまた度」は、何度も、の意である。
 二句「ゆきあふさかの」は、「行き逢ふ」と「逢坂」を掛ける掛詞で、何度も行き来して通った逢坂の、の意となる。
 三句「関水に」は、逢坂の関のほとりに湧く関の清水に、の意である。
 四句「今は限りの」は、これが最後の、の意で、詞書の「この度ばかりや」の思いを受けている。
 結句「影ぞ悲しき」の「影」は清水に映る自らの姿で、「ぞ」は強意の係助詞、「悲しき」は形容詞の連体形で結ぶ係り結びである。

あふさか:「行き逢ふ」の「逢ふ」と地名の「逢坂」を掛ける
せきみづ:逢坂の関のほとりに湧く清水、関の清水
まうづ:社寺に参詣する
いしやま:近江国の石山寺
作者
藤原詮子
出典
千載和歌集
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