見るほどは夢も夢とも知られねば
うつつも今はうつつと思はじ
- 歌の意味
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見ている間は、夢も夢だとはわからないのだから、現実も、今はもう現実だとは思うまい。
- 鑑賞
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巻第十九 釈教歌 1234
詞書「維摩経十喩、この身は夢のごとしといへる心を詠める」
維摩経十喩のうち、この身は夢のようだ、という句の心を詠んだ歌である。見ている間は夢も夢とわからないのだから、現実も今は現実とは思うまい、と詠む。夢の中ではそれが夢だと気づかないように、今現実と思っているこの世も実は夢であるかもしれないと悟り、この世を確かなものと思う執着を捨てようとしている。「夢」と「うつつ」をそれぞれ重ねて、理を説く形に仕立てている。
作者の「藤原資隆朝臣」は平安時代後期の官人、歌人で、伝記の詳細は明らかでない。
次歌の第千二百三十五首も同じ維摩経十喩の、この身は夢のようだ、という句を題とし、本歌が夢と現実の区別を理として問うのに対し、次歌は世を夢と知りながら目覚めない心を嘆いている。巻頭の第千二百二首から続く十喩の歌の一つである。
初句「見るほどは」は、夢を見ている間は、の意である。
二句「夢も夢とも」は、夢をも夢だとは、の意で、「夢」を重ねている。
三句「知られねば」の「れ」は可能の助動詞「る」の未然形、「ね」は打消の助動詞「ず」の已然形で、わからないのだから、の意である。
四句「うつつも今は」の「うつつ」は現実の意で、二句の「夢」と対をなしている。
結句「うつつと思はじ」の「じ」は打消意志の助動詞で、現実だとは思うまい、の意である。四句と「うつつ」を重ね、二句の「夢も夢とも」と対句のように響き合っている。
うつつ:現実、目覚めている状態
- 作者
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藤原資隆
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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朽ち果つる袖にはいかが包ままし むなしと説ける御法ならずは
- 次の歌
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驚かぬわが心こそ憂かりけれ はかなき世をば夢と見ながら