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朽ち果つる袖にはいかが包ままし
むなしと説ける御法ならずは

歌の意味
涙に朽ち果ててしまう袖で、どうして涙を包み隠すことができようか。一切は空であると説く御法でなかったならば。
鑑賞
巻第十九 釈教歌 1233

詞書「大品経の、常啼菩薩の心を詠める」
 大品般若経に説かれる常啼菩薩の心を詠んだ歌である。常啼菩薩は、般若の教えを求めて常に泣き続けた菩薩で、身を売ってまで法を求めたと説かれる。泣き続けて朽ち果てる袖では、どうして涙を包み隠せようか、むなしと説く御法でなかったら、と詠む。常啼菩薩の尽きない涙も、一切は空であると説く般若の教えに出会ったからこそ収まるのだと、涙と空の教えとを結びつけている。
 作者の「寂超法師」は俗名を藤原為経といい、丹後守藤原為忠の子である。兄弟の寂念、寂然とともに大原に隠棲し、常盤三寂、大原三寂と呼ばれた。藤原隆信の父にあたる。
 本巻の第千二百二十八首の二句「むなしと説ける」と同じ句を四句に用い、ともに般若経の空の教えを詠んでいる。

 初句「朽ち果つる」は、すっかり朽ちてしまう、の意で、涙に濡れ続けて朽ちる袖を言う。本巻の第千二百四十三首の初句「朽ち果てて」と言葉を共有している。
 二句「袖にはいかが」の「いかが」は、どうして、の意で、反語を表す。
 三句「包ままし」の「まし」は反実仮想の助動詞で、結句の「ずは」と呼応し、…でなかったならどうして包めようか、の意となる。ここで句切れとなる。
 四句「むなしと説ける」は、空であると説いた、の意で、本巻の第千二百二十八首の二句「むなしと説ける」と同じ句である。
 結句「御法ならずは」の「ずは」は打消の仮定で、御法でなかったならば、の意である。倒置によって三句の条件を示している。

だいほんぎやう:大品般若経、般若経の一つ
じやうたいぼさつ:般若の教えを求めて常に泣き続けたとされる菩薩
くちはつ:すっかり朽ちてしまう
作者
寂超
出典
千載和歌集
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