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いさぎよき池に影こそ浮かびぬれ
沈みやせんと思ふわが身を

歌の意味
清らかな池に、わが影が浮かんでいることだ。悪道に沈んでしまうのではないかと思っていたこの身であるのに。
鑑賞
巻第十九 釈教歌 1232

詞書「瞻西上人雲居寺の極楽堂に、堀川左大臣参りて、これかれ歌詠み侍りけるに詠める」
 瞻西上人の雲居寺の極楽堂に堀川左大臣が参詣し、人々が歌を詠んだ折の歌である。清らかな池に影が浮かんだ、沈むのではないかと思うわが身なのに、と詠む。極楽浄土には清らかな宝池があるとされ、極楽堂の池に映る自分の姿を、極楽の池に浮かぶ身と見なし、罪によって悪道に沈むかと思っていた身が浮かび上がったと、往生の望みを喜んでいる。「浮かぶ」と「沈む」が対になっている。
 作者の「神祇伯顕仲」は源顕仲である。右大臣源顕房の子で、神祇伯に至った。待賢門院堀河の父にあたる。
 詞書に見える瞻西上人は、本巻の第千二百九首の作者である。

 初句「いさぎよき」は、清らかな、汚れのない、の意で、極楽の宝池を思わせる。
 二句「池に影こそ」の「影」は池に映る自分の姿で、「こそ」は強意の係助詞、三句の已然形「ぬれ」で結ぶ。
 三句「浮かびぬれ」の「ぬれ」は完了の助動詞「ぬ」の已然形で、係り結びの結びとなる。ここで句切れとなる。
 四句「沈みやせんと」の「沈む」は悪道に沈む意で、三句の「浮かぶ」と対をなす。「や」は疑問の係助詞で、「ん」の連体形で結ぶ。
 結句「思ふわが身を」の「を」は詠嘆を表す間投助詞で、沈むかと思っていたこの身なのに、の意である。倒置によって三句に返る。

うんごじ:京都東山にあった寺、瞻西が阿弥陀の大仏を造立した
あくだう:悪行の報いで落ちる地獄や餓鬼などの世界
作者
源顕仲
出典
千載和歌集
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鷲の山月を入りぬと見る人は 暗きに迷ふ心なりけり
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