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思ふこと汲みてかなふる神なれば
塩屋に跡を垂るるなりけり

歌の意味
人々の思うことを汲み取ってかなえてくださる神であるから、潮を汲む塩屋の地に跡を垂れて現れなさったのであった。
鑑賞
巻第二十 神祇歌 1258

詞書「白河法皇熊野へ参らせ給うける御供にて、塩屋の王子の御前にて、人々歌詠み侍りけるに、詠み侍りける」
 白河法皇の熊野参詣にお供した折、塩屋の王子の前で人々が歌を詠んだ時に詠んだ歌である。塩屋王子は熊野へ向かう道筋に祀られた九十九王子の一つで、紀伊国の海辺にある。思うことを汲んでかなえる神であるから、塩屋に跡を垂れたのであった、と詠む。仏が仮に神として姿を現す垂迹の考えをふまえ、人の願いを汲む神が、潮を汲んで塩を焼く塩屋の地に現れたのはもっともだと、地名に寄せて神徳をたたえている。
 作者の「後三条内大臣」は藤原公教である。権大納言三条実行の子で、内大臣に至った。
 次歌の第千二百五十九首も、仏が神となって現れる本地垂迹の心を詠んでいる。本巻の第千二百六十八首も熊野参詣の途上の王子で詠んだ歌である。

 初句「思ふこと」は、人々が心に願うことを言う。
 二句「汲みてかなふる」の「汲む」は人の思いを推し量る意で、潮を汲む意から「塩屋」の縁語となっている。「かなふる」は、かなえる、の意である。
 三句「神なれば」は、神であるから、の意で、理由を示している。
 四句「塩屋に跡を」の「塩屋」は地名で、塩を焼く小屋を思わせる。「跡を垂る」は仏が神として現れる垂迹を言い、「垂る」も潮の滴ることから塩の縁語となっている。
 結句「垂るるなりけり」の「なり」は断定、「けり」は気づきを表す詠嘆の助動詞である。

すいじやく:仏や菩薩が人々を救うため、仮に神の姿で現れること
わうじ:熊野参詣の道筋に祀られた熊野権現の御子神の社
たる:ここでは、神仏が姿を現す、垂迹する
作者
藤原公教
出典
千載和歌集
前の歌
住吉の波も心を寄せければ むべぞ汀に立ちまさりける
次の歌
道の辺の塵に光を和らげて 神も仏の名告るなりけり