- 歌の意味
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道ばたの塵に交わるまで光をやわらげて、神というのも、仏が名乗っている名なのであった。
- 鑑賞
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巻第二十 神祇歌 1259
詞書「百首歌召しける時、神祇歌とて詠ませ給うける」
崇徳院が百首歌を召した折、神祇の歌として詠んだ歌である。道の辺の塵に光をやわらげて、神も仏の名乗るものであった、と詠む。仏が衆生を救うため、その尊い光をやわらげて俗世の塵に交わるという和光同塵の教えをふまえ、神とは仏が仮に姿を変えて名乗ったものだと、本地垂迹の考えを端的に詠んでいる。この百首歌は『久安百首』である。
作者の「崇徳院御製」は、鳥羽天皇の第一皇子で第七十五代の天皇となった崇徳院の御製である。和歌を好み、『久安百首』を召し、『詞花和歌集』の撰進を命じた。保元の乱に敗れて讃岐に配流され、その地で没した。
前歌の第千二百五十八首とともに本地垂迹を詠み、前歌が神の跡を垂れる地を、本歌が光をやわらげて神となる仏を詠んでいる。次歌の第千二百六十首は同じ百首の折の歌である。
初句「道の辺の」は、道ばたの、の意で、人々の暮らす俗世を言う。
二句「塵に光を」の「塵」は俗世の汚れ、「光」は仏の智恵の光で、和光同塵の「光」と「塵」を詠み込んでいる。
三句「和らげて」は、光をやわらげて、の意で、和光同塵の「和光」を和語に移したものである。
四句「神も仏の」の「の」は主格を表し、神というのも仏が、の意である。
結句「名告るなりけり」の「名告る」は名乗る意で、「なり」は断定、「けり」は気づきを表す詠嘆の助動詞である。
わくわうどうぢん:仏が光をやわらげ、俗世の塵に交わって衆生を救うこと
ほんぢすいじやく:仏や菩薩が本体で、神はその仮の姿であるとする考え
- 作者
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崇徳院
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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思ふこと汲みてかなふる神なれば 塩屋に跡を垂るるなりけり
- 次の歌
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天の下のどけかれとや榊葉を 三笠の山にさし初めけん