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如何せむをぐらの山の郭公
おぼつかなしと音をのみぞ鳴く

歌の意味
どうしたらよいのだろう。小暗い小倉山のほととぎすが、気がかりでたまらないと声をあげて鳴いてばかりいる。
鑑賞
巻第四 夏歌 196

詞書「人のもとにつかはしける」
 どうしたらよいのか、小暗い小倉山のほととぎすが、気がかりだと声をあげて鳴いてばかりいると詠んだ歌である。相手の様子がわからず不安な思いを、暗い山で鳴き続けるほととぎすに託している。
 詞書によれば、ある人のもとに贈ったものである。
 作者の藤原師尹は藤原忠平の五男で、左大臣に至った。小一条に邸があったことから小一条左大臣と呼ばれた。

 初句「如何せむ」は、どうしたらよいだろう、の意で、思案に暮れる心を率直に示し、ここで句切れとなる。
 二句「をぐらの山の」の「をぐら」は、山城国の歌枕である「小倉山」と、ほの暗い意の「小暗」を掛けた掛詞である。
 三句「郭公」は、暗い山で鳴く鳥として、作者の不安な心をなぞらえている。
 四句「おぼつかなしと」は、気がかりで心もとないと、の意で、二句の「小暗」と響き合い、相手の様子がはっきりしない不安を表している。
 結句「音をのみぞ鳴く」は、声をあげて鳴いてばかりいる、の意で、「ぞ」は係助詞、連体形「鳴く」と係り結びをなす。本巻の第百七十五首、第百八十四首と同じ結句を共有している。

をぐら:山城国の歌枕「小倉山」と、ほの暗い意の「小暗」を掛ける
おぼつかなし:はっきりせず心もとない、気がかりである
作者
藤原師尹
出典
後撰和歌集
前の歌
空蝉の声聞くからに物ぞ思ふ 我も空しき世にし住まへば
次の歌
郭公暁がたの一声は 憂き世の中を過ぐすなりけり