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心ありて鳴きもしつるかひぐらしの
いづれも物のあきて憂ければ

歌の意味
心があって鳴いたのだろうか、ひぐらしは。どれもみな、秋になって、飽きられてつらいものなので。
鑑賞
巻第五 秋歌上 256

詞書「題しらず」
 ひぐらしは心があって鳴いたのだろうか、どれもみな秋になると飽きられてつらいものなのだからと詠んだ歌である。「秋」と「飽き」を掛け、季節の移ろいと人の心の移ろいを重ねて、ひぐらしの声に自身の嘆きを託している。
 本巻の第二百五十四首から第二百六十一首までは、紀貫之の「題しらず」の歌が八首続き、ひぐらし、きりぎりす、松虫と、秋の虫の声を順に詠んでいる。
 作者の「つらゆき」は紀貫之である。紀望行の子で、古今和歌集の撰者の中心となり、仮名序を書いた。土佐守などを務め、土佐日記の作者としても知られる。三十六歌仙の一人である。

 初句「心ありて」は、心があって、の意で、字余りである。
 二句「鳴きもしつるか」の「つる」は完了の助動詞「つ」の連体形、「か」は疑問を表し、鳴いたのだろうか、の意である。ここで句切れとなる。
 三句「ひぐらしの」は、ひぐらしが、の意で、二句と倒置の関係にある。本巻の第二百五十四首、第二百五十五首の初句「ひぐらしの」を、本歌は三句に置いている。
 四句「いづれも物の」は、どれもみな、物事が、の意である。
 結句「あきて憂ければ」の「あき」は、季節の「秋」と、いやになる意の「飽き」を掛けた掛詞である。「ば」は理由を表し、秋になって、飽きられてつらいので、の意である。

あく:季節の「秋」と、いやになる意の「飽く」を掛ける
作者
紀貫之
出典
後撰和歌集
前の歌
ひぐらしの声聞くからに松虫の 名にのみ人を思ふころかな
次の歌
秋風の吹きくる宵はきりぎりす 草のねごとに声乱れけり