影だにも見えずなりゆく山の井は
浅きよりまた水や絶えにし
- 歌の意味
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姿さえ映らなくなっていく山の井は、もともと浅かったうえに、さらに水まで絶えてしまったのだろうか。
- 鑑賞
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巻第九 恋歌一 530
詞書「相待ちける人の、久しう消息なかりければつかはしける」
面影さえ映らなくなった山の井は、もともと浅かったうえに水まで絶えてしまったのか、と詠んだ歌である。久しく便りのない相手を、浅く水の絶えた山の井にたとえ、浅い心がさらに途絶えたと恨んでいる。
詞書によれば、訪れを待っていた相手が長く便りをよこさなかったので送った歌である。次歌は平定文の返歌で、二首は贈答の一組となっている。山の井を浅いものの例とする趣向は、古今和歌集の仮名序に引かれる「浅香山影さへ見ゆる山の井の浅き心をわが思はなくに」にも見える。
作者の「きのめのと」は紀乳母である。紀氏の出で、乳母を務めた女性と考えられるが、経歴は詳しく伝わらない。
初句「影だにも」は、面影さえも、の意で、「だに」は、さえ、の意である。次歌の結句「影は見えぬぞ」がこれを受けている。
二句「見えずなりゆく」は、映らなくなっていく、の意である。
三句「山の井は」は、山中の湧き水をためた浅い井戸は、の意で、浅いものの例として詠まれる。
四句「浅きよりまた」は、もともと浅かったうえにさらに、の意で、相手の浅い心をいっている。
結句「水や絶えにし」の「や」は疑問の係助詞で、連体形「し」と係り結びをなし、水まで絶えてしまったのだろうか、の意である。
やまのゐ:山中の湧き水をためた浅い井戸
- 作者
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紀乳母
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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唐衣きて帰りにしさ夜すがら あはれと思ふを恨むらんはた
- 次の歌
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浅してふことをゆゆしみ山の井は 掘りし濁りに影は見えぬぞ