我がためは見るかひもなし忘れ草
忘るばかりの恋にしあらねば
- 歌の意味
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私にとっては、見る甲斐もない、忘れ草は。忘れられるほどの恋ではないのだから。
- 鑑賞
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巻第十一 恋歌三 789
詞書「言ひ交はしける女の、今は思ひ忘れねと言ひ侍りければ」
私には見る甲斐もない忘れ草だ、忘れられるほどの恋ではないのだから、と詠んだ歌である。もう忘れてほしいと言う女に、身につければ憂いを忘れるという忘れ草でさえ、自分の恋には効き目がないと応じている。
詞書によれば、言葉を交わしていた女が、もう私のことは忘れてくださいと言ってきたので詠んだ歌である。前歌の第七百八十八首の「忘れわびぬれ」に続き、忘れられない恋を詠んでいる。
作者の「はせをの朝臣」は紀長谷雄である。紀貞範の子で、菅原道真に学び、文章博士を経て中納言にまで昇った。漢詩文にすぐれた学者として知られる。
初句「我がためは」は、私にとっては、の意である。本巻の第七百八十四首の初句と同じ句である。
二句「見るかひもなし」は、見る甲斐もない、の意で、ここで句切れとなる。
三句「忘れ草」は、ヤブカンゾウの別名で、身につけると憂いを忘れるとされた草である。二句と倒置の関係にある。
四句「忘るばかりの」は、忘れられるほどの、の意で、三句の「忘れ草」と同じ語を重ねている。
結句「恋にしあらねば」は、恋ではないのだから、の意で、「し」は強めの副助詞である。
わすれぐさ:ヤブカンゾウの別名。身につけると憂いを忘れるとされた
- 作者
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紀長谷雄
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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今更に思ひ出でじと忍ぶるを 恋しきにこそ忘れわびぬれ
- 次の歌
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あひ見てもつつむ思ひのわびしきは 人まにのみぞ音は泣かれける