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春立つといふばかりにや三吉野の
山も霞みて今朝は見ゆらん

歌の意味
立春になったというだけのことで、吉野の山も霞んで、今朝はあのように見えるのだろうか。
鑑賞
巻第一 春歌 1

詞書「平定文が家歌合に詠み侍りける」
 立春を迎えたというだけで、雪深い吉野の山までも今朝は霞んで見えるのだろうかと、暦の上の春と目に映る景色の変化を結びつけた歌である。春が立ったという知らせそのものが山の姿を変えたかのように感じる驚きを詠み、拾遺和歌集の巻頭を飾っている。詞書によれば、平定文の家で催された歌合に出された一首である。
 作者の「壬生忠岑」は平安時代前期の歌人で、古今和歌集の撰者の一人である。三十六歌仙に数えられ、壬生忠見の父である。
 和漢朗詠集の立春の部にも採られ、立春を詠んだ代表的な歌として広く知られている。

 初句「春立つと」は、暦の上で立春を迎えたことをいう。巻末の第七十八首が春の最後の日の暮れを詠むのと呼応し、本巻は春の始まりの朝と終わりの夕べとで枠取られている。
 二句「いふばかりにや」は、立春だと言うだけのことで、の意である。「や」は疑問の係助詞で、結句の「らん」で結ぶ係り結びとなる。
 三句「三吉野の」は、大和国の歌枕である吉野を美しくいう表現で、「み」は美称の接頭語である。雪深い山として知られる吉野を選ぶことで、冬から春への転換を際立たせ、本巻の第四首、第九首など吉野を詠む歌の起点ともなっている。
 四句「山も霞みて」は、山にも春霞がかかっている様子をいう。「も」は、暦だけでなく山までもが春らしくなったという添加の意を表す。
 結句「今朝は見ゆらん」は、立春の朝の景に限って示す。「らん」は現在推量の助動詞で、目の前の霞の理由を推し量る気持ちを表し、二句の「や」を受けて結ぶ。

みよしの:奈良県の吉野地方を美しくいう語。「み」は美称の接頭語
作者
壬生忠岑
出典
拾遺和歌集
次の歌
春霞立てるを見れば荒玉の 年は山より越ゆるなりけり