年を経て濁りだにせぬさびえには
玉も帰りて今ぞすむべき
- 歌の意味
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長い年を経ても濁りさえしない佐比江には、去っていた玉も帰ってきて、今こそ澄んだ水に住むにちがいない。
- 鑑賞
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巻第十五 雑歌一 1105
詞書「忠房朝臣津の守にて、新司はるかたが設けに屏風調じて、かの国の名ある所々絵に描かせて、さび江といふ所に描けりける」
年を経ても濁ることのない佐比江には、玉も帰ってきて今こそ澄んだ水に住むだろう、と詠んだ歌である。名太守の着任によって去った真珠が戻ったという中国の故事を踏まえ、新しい国司の善政を予祝している。
詞書によれば、藤原忠房が摂津守であった時、新任の国司はるかたを迎えるもてなしのために屏風を作らせ、摂津国の名所を絵に描かせたうち、佐比江という所の絵に書いた歌である。後漢の孟嘗が合浦の太守となると、去っていた真珠が戻ったという「合浦の珠」の故事を踏まえている。
作者の「たたみね」は壬生忠岑である。古今和歌集の撰者の一人で、三十六歌仙に数えられる。小倉百人一首には「有明のつれなく見えし別れより」の歌が採られている。
初句「年を経て」は、長い年月を経て、の意である。本巻の第千百二十一首の初句も同じ「年をへて」で始まっている。
二句「濁りだにせぬ」は、濁りさえしない、の意で、「だに」は軽いものを挙げて他を類推させる。清らかな政治を水の澄むさまにたとえている。
三句「さびえには」は、佐比江には、の意で、摂津国の地名である。
四句「玉も帰りて」は、玉も帰ってきて、の意で、去った真珠が戻ったという故事を踏まえている。
結句「今ぞすむべき」は、今こそ澄むにちがいない、の意で、「すむ」に水が「澄む」と、玉が「住む」を掛けている。「ぞ」は強意の係助詞で、連体形「べき」で結ぶ係り結びとなっている。
さびえ:摂津国の地名。佐比江
すむ:水が澄む意と、住む意を掛ける
しんじ:新たに任じられた国司
まうけ:もてなしの準備
- 作者
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壬生忠岑
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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開けてだに何にかは見む水の江の 浦島の子を思ひやりつつ
- 次の歌
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古里の三笠の山は遠けれど 声は昔のうとからぬかな