有明の月の光を待つほどに
我が世のいたくふけにけるかな
- 歌の意味
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有明の月の光を待っているうちに、夜がひどく更けるように、私の生涯もすっかり老いてしまったことだ。
- 鑑賞
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巻第八 雑歌上 436
詞書「冷泉院の東宮におはしましける時、月を待つ心の歌」
有明の月の光を待っているうちに、夜が更けるように自分の齢もすっかり老いてしまったと詠む歌である。詞書から、冷泉院がまだ東宮であった頃、月を待つ心という題で詠んだ歌とわかる。東宮に仕える身として、いつかの栄達を待つうちに年を重ねてしまった嘆きを、月を待つ夜更けに重ねて表している。前歌までが眺める月を詠んだのに対し、この歌は待つ月を詠み、次歌の第四百三十七首の通り過ぎない月と対をなしている。
作者の「藤原仲文」は、藤原公葛の子で、平安時代中期の歌人である。冷泉天皇が東宮であった頃から仕えた。三十六歌仙に数えられる。原文では作者名が詞書の末尾に続けて記されている。
初句「有明の」は、夜明けになってもまだ空に残っている、の意で、下旬の遅く出る月をいう。
二句「月の光を」は、月の光を、の意である。
三句「待つほどに」は、待っているうちに、の意で、時の経過を表す。
四句「我が世のいたく」は、我が生涯がひどく、の意で、「世」には「夜」が響いている。本巻の第四百六十一首の四句「松さへいたく」も同じ「いたく」で老いを嘆いている。
結句「ふけにけるかな」は、すっかり更けてしまったことよ、の意である。「ふけ」は夜が「更け」る意と、年老いて「ふけ」る意を掛けた掛詞で、「に」は完了、「ける」は詠嘆を表す。第四百六十一首の結句「おいにけるかな」と同じ形で結ばれている。
ありあけ:夜明けになっても空に月が残っていること
ふく:夜が更ける意と、年をとって老ける意を掛ける
よ:生涯の意の世に、夜を響かせる
- 作者
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藤原仲文
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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かくばかり経がたく見ゆる世の中に うらやましくもすめる月かな
- 次の歌
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雲居にてあひ語らはぬ月だにも 我が宿過ぎて行く時はなし