鹿を指して馬といふ人ありければ
かもをもをしと思ふなるべし
- 歌の意味
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鹿を指して馬だと言った人がいたのだから、あなたも鴨を鴛鴦だと、つまりこの氈を惜しいと思っているのだろう。
- 鑑賞
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巻第九 雑歌下 535
詞書「能宣に車の氈を乞ひに遣はして侍りけるに」
鹿を指して馬と言った人がいたのだから、あなたも鴨を鴛鴦と言いくるめ、氈を惜しんでいるのだろうと詠む歌である。詞書から、大中臣能宣に牛車に敷く氈を借りたいと頼みにやったときの歌とわかる。秦の趙高が鹿を馬と言い張ったという「鹿を指して馬となす」の故事を踏まえ、「鴨」と「氈」、「鴛鴦」と「惜し」を掛けて、なかなか貸してくれない相手を戯れに責めている。次歌の第五百三十六首の能宣の返しと一組の贈答である。
作者の藤原仲文は、藤原公葛の子で、冷泉天皇が東宮であった頃から仕え、上野介などを務めた。三十六歌仙に数えられる。
なお本文では、詞書の末尾に作者名の「藤原仲文」が続けて記されている。
初句「鹿を指して」は、鹿を指して、の意で、「か」は鹿の古い呼び名である。趙高の故事を踏まえている。
二句「馬といふ人」は、馬だと言った人、の意で、趙高を指す。次歌の第五百三十六首の四句「鹿や馬とぞ」に、鹿と馬の語が受け継がれている。
三句「ありければ」は、いたのだから、の意で、「ば」は已然形について原因を表す。
四句「かもをもをしと」は、「かも」が鳥の「鴨」と敷物の「氈」を、「をし」が鳥の「鴛鴦」と「惜し」を掛ける掛詞である。鴨を鴛鴦と言いくるめる意と、氈を惜しいと思う意を重ねている。
結句「思ふなるべし」は、思っているのだろう、の意で、「なる」は断定、「べし」は推量の助動詞である。
か:鹿。鹿の古い呼び名
かも:鳥の「鴨」と、毛で織った敷物の「氈」を掛ける
をし:鳥の「鴛鴦」と、「惜し」を掛ける
- 作者
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藤原仲文
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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空目をぞ君はみたらし河の水 浅しや深しそれは我かは
- 次の歌
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なしといへばをしむかもとや思ふらん 鹿や馬とぞ言ふべかりける