- 歌の意味
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藤の花は、宮中にあっては、紫の雲かとばかり見間違えられることだ。
- 鑑賞
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巻第十六 雑春歌 1068
詞書「延喜御時、藤壺の藤の花宴せさせ給ひけるに、殿上のをのこども歌仕うまつりけるに」
藤の花は宮中にあっては、紫の雲かとばかり見間違えられると詠む歌である。詞書から、藤壺の藤の花の宴が催され、殿上人たちが歌を詠んだ折の歌とわかる。紫の雲はめでたいしるしとされ、宮中に咲く藤の花をそれに見立てて、御代の繁栄をことほいでいる。次歌の第千六十九首と、藤の花を紫の雲に見立てる趣向を共有している。
作者の「皇太后宮権大夫国章」は藤原国章である。藤原元名の子で、皇太后宮権大夫などを務め、従三位に至った。
初句「藤の花」は、藤の花は、の意で、前歌の第千六十七首に続き藤を詠んでいる。
二句「宮の内には」は、宮中にあっては、の意で、詞書の藤壺をいう。
三句「紫の」は、紫色の、の意で、次歌の第千六十九首と第千七十首の初句「紫の」と同じ語である。
四句「雲かとのみぞ」は、雲かとばかり、の意で、係助詞「ぞ」は結句の連体形「ける」で結ぶ係り結びである。次歌の第千六十九首の初句と二句「紫の雲とぞ見ゆる」と、紫の雲の見立てを共有している。
結句「あやまたれける」は、見間違えられることだ、の意で、「れ」は自発の助動詞「る」の連用形、「ける」は詠嘆を表す。
あやまつ:誤つ。見間違える
ふぢつぼ:藤壺。飛香舎。庭に藤が植えられた後宮の殿舎
- 作者
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藤原国章
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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松風の吹かむ限りはうちはへて 絶ゆべくもあらず咲ける藤波
- 次の歌
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紫の雲とぞ見ゆる藤の花 いかなる宿のしるしなるらん