あしひきの山郭公里なれて
たそかれ時に名のりすらしも
- 歌の意味
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山のほととぎすが人里に慣れて、たそがれ時に名のりをしているらしい。
- 鑑賞
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巻第十六 雑春歌 1076
詞書「題しらず」
山のほととぎすが人里に慣れて、たそがれ時に名のりをしているらしいと詠む歌である。山から里へ下りてきたほととぎすが、夕暮れに鳴く声を、自分の名を告げる名のりと聞きなしている。「誰そ彼」と問う夕暮れ時に名のるという取り合わせに、機知がこめられている。
作者の大中臣輔親は、大中臣能宣の子で、伊勢神宮の祭主や神祇伯を務めた。中古三十六歌仙の一人である。
初句「あしひきの」は、「山」を導く枕詞である。
二句「山郭公」は、山のほととぎすが、の意で、ほととぎすの歌が続いている。
三句「里なれて」は、人里に慣れて、の意で、山から里へ下りてきたことをいう。
四句「たそかれ時に」は、夕暮れ時に、の意で、「たそかれ」は、薄暗くて「誰そ彼」と問う時の意である。
結句「名のりすらしも」は、名のりをしているらしい、の意で、「らし」は推定の助動詞、「も」は詠嘆を表す。四句の「誰そ彼」と問う時に名を告げるという、言葉の縁を重ねている。
なのり:名告り。自分の名を告げること。ほととぎすの鳴き声を名を告げると聞きなした
たそかれ:誰そ彼。顔の見分けにくい夕暮れ時
- 作者
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大中臣輔親
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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かくばかり待つと知らばや郭公 梢高くも鳴き渡るかな
- 次の歌
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古里の奈良思の岡に郭公 言伝てやりきいかに告げきや