かくばかり待つと知らばや郭公
梢高くも鳴き渡るかな
- 歌の意味
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これほどまでに待っていると知っていたならば、ほととぎすよ、こんなにも梢高く鳴いて飛び過ぎていくだろうか。
- 鑑賞
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巻第十六 雑春歌 1075
詞書「廉義公家障子に」
これほど待っていると知っていたならば、ほととぎすは、こんなにも梢高く鳴いて飛び過ぎていくだろうかと詠む歌である。詞書から、廉義公藤原頼忠の家の障子の絵に添えた歌とわかる。待ちわびた声を、近くでゆっくり聞かせてもくれずに高く飛び去っていくほととぎすを、恨めしく思う心を詠んでいる。
作者の「もとすけ」は清原元輔である。清原深養父の孫で、清少納言の父にあたる。梨壺の五人の一人として後撰和歌集の撰進にあたった。三十六歌仙に数えられる。廉義公は藤原実頼の子の藤原頼忠で、関白太政大臣に至った。
初句「かくばかり」は、これほどまでに、の意である。
二句「待つと知らばや」は、待っていると知っていたならば、の意で、「ば」は未然形について仮定を表し、「や」は反語を表す。
三句「郭公」は、ほととぎすよ、の意で、ほととぎすの歌が続いている。
四句「梢高くも」は、梢の高いところを、の意で、人の手の届かない遠さをいう。
結句「鳴き渡るかな」は、鳴いて飛び過ぎていくことよ、の意で、「かな」は詠嘆を表す。二句の反語と呼応し、待つ心に応えないほととぎすを恨んでいる。
こずゑ:梢。木の枝の先
なきわたる:鳴き渡る。鳴きながら飛んでいく
れんぎこう:廉義公。藤原頼忠の諡
- 作者
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清原元輔
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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声立ててなくといふとも郭公 袂は濡れじそらねなりけり
- 次の歌
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あしひきの山郭公里なれて たそかれ時に名のりすらしも