憂き世にはある身も憂しと嘆きつつ
涙のみこそふる心地すれ
- 歌の意味
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このつらい世では、生きているこの身もつらいと嘆きながら、涙ばかりが降り、涙の中で日々を過ごしている心地がする。
- 鑑賞
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巻第二十 哀傷 1306
詞書「返し」
つらい世では生きている身もつらいと嘆きながら、涙ばかりが降り、涙とともに日を過ごす心地がすると詠む歌である。前歌の第千三百五首の藤原共政の妻の歌への、藤原朝光の返しである。娘を亡くした身として、生き残っていることさえつらいと嘆き、「降る」と「経る」を掛けて、涙にくれて日を送る悲しみを伝えている。
作者の「大納言朝光」は藤原朝光である。関白藤原兼通の子で、大納言に至った。中古三十六歌仙の一人である。
初句「憂き世には」は、つらいこの世では、の意で、前歌の第千三百五首の二句「この世は憂きと」を受けている。
二句「ある身も憂しと」は、生きているこの身もつらいと、の意で、初句の「憂き」を重ねている。
三句「嘆きつつ」は、嘆きながら、の意で、前歌の第千三百五首の四句「君も嘆くと」を受けている。
四句「涙のみこそ」は、涙ばかりが、の意で、係助詞「こそ」は結句の已然形「すれ」で結ぶ係り結びである。
結句「ふる心地すれ」は、「ふる」が涙が「降る」と、日を「経る」を掛ける掛詞である。
ふる:涙が「降る」意と、日を「経る」意を掛ける
- 作者
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藤原朝光
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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我のみやこの世は憂きと思へども 君も嘆くと聞くぞ悲しき
- 次の歌
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死出の山越えて来つらん郭公 恋しき人の上語らなん