古典和歌stream

死出の山越えて来つらん郭公
恋しき人の上語らなん

歌の意味
死出の山を越えてやって来たのだろうほととぎすよ、恋しいあの子の様子を語ってほしい。
鑑賞
巻第二十 哀傷 1307

詞書「産みたてまつりたりける皇子の亡くなりての又の年、郭公を聞きて」
 死出の山を越えて来たのだろうほととぎすよ、恋しい人の様子を語ってほしいと詠む歌である。詞書から、作者が産んだ宇多天皇の皇子が亡くなった翌年、ほととぎすの声を聞いて詠んだ歌とわかる。ほととぎすは冥土との間を行き来する鳥とされたことから、あの世から来たであろうほととぎすに、亡きわが子の様子を語ってほしいと呼びかけ、子を失った母の切ない思いを伝えている。次歌の第千三百八首は、この悲しみを見舞った平定文の歌である。
 作者の伊勢は、伊勢守藤原継蔭の娘で、宇多天皇の中宮温子に仕え、宇多天皇の寵を受けて皇子を産んだ。三十六歌仙に数えられ、百人一首の「難波潟」の歌で知られる。

 初句「死出の山」は、死者が冥土へ行く途中で越えるという山である。
 二句「越えて来つらん」は、越えて来たのだろう、の意で、「つらん」は完了と現在推量の助動詞である。
 三句「郭公」は、ほととぎす、の意で、死出の山を越えて来る鳥とされた。本巻の第千二百八十二首の三句「郭公」と、同じ鳥を詠んでいる。ここで句切れとなる三句切れの歌である。
 四句「恋しき人の」は、恋しい人の、の意で、亡くなった皇子をいう。
 結句「上語らなん」は、様子を語ってほしい、の意で、「なん」は他に対する願望を表す終助詞である。

しでのやま:死出の山。死者が冥土へ行く途中で越えるという山
うへ:上。身の上、様子
作者
伊勢
出典
拾遺和歌集
前の歌
憂き世にはある身も憂しと嘆きつつ 涙のみこそふる心地すれ
次の歌
思ふより言ふはおろかになりぬれば たとへて言はん言の葉ぞなき