呉竹の我がよは異になりぬとも
ねは絶えせずもなかるべきかな
- 歌の意味
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呉竹の節のように、私の世はあなたとは別のものになってしまっても、声をあげて泣くことは絶えることなく続くことだろう。
- 鑑賞
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巻第二十 哀傷 1323
詞書「朱雀院、失せさせ給ひけるほど近くなりて、太皇太后宮の幼くおはしましけるを見たてまつらせたまひて」
私の世はあなたとは別のものになってしまっても、声をあげて泣くことは絶えずに続くだろうと詠む歌である。詞書から、朱雀院が崩御の近くなった頃、まだ幼かった皇女の太皇太后宮を見て詠んだ歌とわかる。太皇太后宮は朱雀天皇の皇女の昌子内親王で、のちに冷泉天皇の皇后となった。朱雀院は天暦6年(952)に崩御した。竹の縁で「節」と「世」、「根」と「音」を掛け、幼い娘を残して世を去らねばならない父の悲しみを詠んでいる。
作者の「御製」は朱雀天皇である。醍醐天皇の皇子で、村上天皇の兄にあたる。
初句「呉竹の」は、呉竹の、の意で、竹の縁で二句の「よ」を導いている。
二句「我がよは異に」は、「よ」が竹の「節」と、命の「世」を掛ける掛詞である。私の世はあなたとは別のものに、の意となる。
三句「なりぬとも」は、なってしまっても、の意で、「ぬ」は完了、「とも」は逆接の仮定を表す。
四句「ねは絶えせずも」は、「ね」が竹の「根」と、泣く「音」を掛ける掛詞である。
結句「なかるべきかな」は、泣かれるだろうことよ、の意で、「る」は自発の助動詞、「べき」は推量を表す。本巻の第千三百四首の、なよ竹の節に子の命を重ねた歌と、竹の縁で命を詠む点で通い合っている。
よ:竹の「節」と、命の「世」を掛ける
ね:竹の「根」と、泣く「音」を掛ける
くれたけ:呉竹。淡竹の異名
- 作者
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朱雀天皇
- 出典
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拾遺和歌集
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手に結ぶ水に宿れる月影の あるかなきかの世にこそありけれ
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鳥辺山谷に煙の燃え立たば はかなく見えし我と知らなん