手に結ぶ水に宿れる月影の
あるかなきかの世にこそありけれ
- 歌の意味
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手ですくった水に映っている月の光のように、あるのかないのかわからない、はかないこの世であったのだ。
- 鑑賞
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巻第二十 哀傷 1322
詞書「世の中心細く覚えて常ならぬ心地し侍りければ、公忠朝臣のもとに詠みて遣はしける、この間病重くなりにけり。この歌詠み侍りてほどなく亡くなりにけるとなん家の集に書きて侍る」
手ですくった水に映る月の光のように、あるのかないのかわからない世であったと詠む歌である。詞書から、世の中が心細く、無常の思いがしたので源公忠のもとに詠んで送ったが、その間に病が重くなり、この歌を詠んでまもなく亡くなったと、作者の家集に記されていることがわかる。手のひらの水に宿る月影という、目の前にありながら手応えのないものに、自らの命とこの世のはかなさを重ねた歌で、貫之の辞世として名高い。源公忠は光孝天皇の孫で、三十六歌仙の一人である。
作者の紀貫之は、古今和歌集の撰者の中心人物で、仮名序を執筆し、土佐日記を著した。三十六歌仙に数えられる。
初句「手に結ぶ」は、手ですくい上げる、の意で、「結ぶ」は手のひらを合わせて水をすくうことをいう。
二句「水に宿れる」は、水に映っている、の意で、「る」は存続の助動詞「り」の連体形である。
三句「月影の」は、月の光の、の意で、ここまでが四句の「あるかなきか」を導いている。
四句「あるかなきかの」は、あるのかないのかわからない、の意で、水に映る月影のおぼつかなさと、命のはかなさとを重ねている。
結句「世にこそありけれ」は、世であったのだ、の意で、係助詞「こそ」を受けて詠嘆の助動詞「けり」の已然形「けれ」で結ぶ係り結びである。本巻の第千三百十八首の、この世を夢と言うべきであったという歌と、世のはかなさを思い知る趣を共有している。
むすぶ:掬ぶ。手のひらで水をすくう
つきかげ:月影。月の光
いへのしふ:家の集。個人の歌集、家集
- 作者
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紀貫之
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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妹山の岩根に置ける我をかも 知らずて妹が待ちつつあらん
- 次の歌
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呉竹の我がよは異になりぬとも ねは絶えせずもなかるべきかな