三年まで馴れしは夢の心地して
今日ぞ現の別れなりける
- 歌の意味
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三年もの間親しく慣れ親しんだことは夢のような気がして、今日こそが現実の別れであったことだ。
- 鑑賞
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巻第九 哀傷歌 593
詞書「忍びて物申しける女身まかりにける時よめる」
人目を忍んで通じ合っていた女が亡くなった時に詠んだ歌である。三年もの間慣れ親しんだことは夢のような気がして、今日こそが現実の別れであった、と詠む。忍ぶ仲であったために、ともに過ごした三年間は夢のようにはかなく、死別という今日の別れだけが確かな現実として迫ってくるという、夢と現の逆転によって悲しみを表している。
作者の「右京大夫季能」は藤原季能で、平安時代末期の公卿である。右京大夫などを務めた。
本巻の第五百五十一首、第五百六十七首は、現と夢の区別のつかなさを詠み、本歌は過去を夢、今日の別れを現と分けて詠んでいる。
初句「三年まで」は、三年もの間、の意である。
二句「馴れしは夢の」の「馴れ」は慣れ親しむ意、「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、慣れ親しんだことは夢の、の意である。本巻の第五百六十七首の「見し世の夢」と同じく、過ぎた日々を夢とする。
三句「心地して」は、ような気がして、の意である。本巻の第五百八十五首も「今の心地」と、時の隔たりと心の感じ方の食い違いを詠む。
四句「今日ぞ現の」の「ぞ」は強意の係助詞で、結句の「ける」と連体形で結ぶ。二句の「夢」と「現」を対比させる。
結句「別れなりける」の「ける」は気づきの詠嘆の助動詞「けり」の連体形で、四句の「ぞ」を受けて結ぶ。現実の別れであったことだ、の意である。
ものまうす:男女が親しく言葉を交わす、情を通じる
なる:慣れ親しむ
うつつ:現実、目覚めている状態
- 作者
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藤原季能
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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限りありて二重は着ねば藤衣 涙ばかりを重ねつるかな
- 次の歌
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入りぬるか飽かぬ別れの悲しさを 思ひ知れとや山の端の月