- 歌の意味
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いったいどのような深い思いのために、泉川の底の玉藻となって、すっかり沈んでしまったのだろうか。
- 鑑賞
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巻第九 哀傷歌 596
詞書「奈良に侍従と申しける童の、泉川に身を投げて侍りければよめる」
奈良で侍従と呼ばれていた童が、泉川に身を投げたので詠んだ歌である。どのような深い思いのために、泉川の底の玉藻となって沈み果ててしまったのだろうか、と詠む。若い命を自ら絶った童の、人には語らなかった深い悩みを思いやり、その美しい姿を川底の玉藻にたとえて悼んでいる。
作者の「僧都範玄」は奈良の興福寺の僧で、僧都に至り、のちに興福寺の別当となった。
初句「何事の」は、どのようなことの、の意である。
二句「深き思ひに」は、深い思いのために、の意で、「深き」は三句の「泉川」、四句の「底」と縁語になる。
三句「泉川」は山城国の木津川の古名で、歌枕である。
四句「底の玉藻と」の「玉藻」は藻の美称で、身を沈めた童の美しい姿をたとえる。
結句「沈み果てけん」の「果て」はすっかりし終える意、「けん」は過去の原因推量の助動詞で、すっかり沈んでしまったのだろうか、の意である。
いづみがは:山城国の木津川の古名
たまも:藻の美称
しづみはつ:すっかり沈む
- 作者
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範玄
- 出典
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千載和歌集
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野辺見れば昔の跡や誰ならむ その世も知らぬ苔の下かな
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思ひきや今日打ち鳴らす鐘の音に 伝へし笛の音を添へんとは