野辺見れば昔の跡や誰ならむ
その世も知らぬ苔の下かな
- 歌の意味
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野辺を見渡すと、昔の人の跡であるこれらの塚は、誰のものなのだろう。その人の生きた時代さえ知られない、苔の下であることだ。
- 鑑賞
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巻第九 哀傷歌 595
詞書「親の墓にまかりて侍りけるに、知らぬ塚どもの多く見え侍りければよめる」
親の墓に参った時、誰のものとも知れない塚がたくさん見えたので詠んだ歌である。野辺を見ると、昔の跡は誰のものなのだろう、その世も知られない苔の下であることだ、と詠む。親の墓のまわりに並ぶ、名も時代もわからなくなった古い塚を見て、やがては親の墓もそのように忘れられてゆくのだろうという無常の思いを表している。
作者の「左京大夫修範」は少納言藤原通憲、すなわち信西の子で、母は紀伊二位藤原朝子である。左京大夫などを務めた。
本巻の第五百九十一首は、同じく紀伊二位を母とする藤原成範の歌で、ひとり苔の下に朽ちてゆく母を思い、本歌も「苔の下」で結んで、ともに墓の下に眠る死者を思っている。
初句「野辺見れば」の「野辺」は野原の意で、ここでは墓所の広がる野をいう。
二句「昔の跡や」の「跡」は、昔の人の残した塚をいう。「や」は疑問の係助詞で、三句の「らむ」と連体形で結ぶ。
三句「誰ならむ」は、誰のものなのだろうか、の意で、ここで句切れとなる。
四句「その世も知らぬ」は、その人の生きた時代さえわからない、の意である。
結句「苔の下かな」の「苔の下」は墓の下をいい、「かな」は詠嘆の終助詞である。本巻の第五百九十一首の「苔の下に朽ちなん」と同じ語を用いる。
つか:土を盛り上げて作った墓
のべ:野原、また葬送の地
こけのした:苔の生えた土の下、墓の下
- 作者
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藤原修範
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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入りぬるか飽かぬ別れの悲しさを 思ひ知れとや山の端の月
- 次の歌
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何事の深き思ひに泉川 底の玉藻と沈み果てけん