真澄鏡心も映るものならば
さりとも今はあはれとや見ん
- 歌の意味
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よく澄んだこの鏡に、姿だけでなく心も映るものならば、いくらなんでも今は、私の心をあわれと見てくれるだろうか。
- 鑑賞
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巻第十二 恋歌二 776
詞書「思ひながら色に出でざりける女のもとにて、鏡を借りてその裏に書き付けて、返し侍りける」
心に思っていながら、それを表に出さずにいた女のもとで、鏡を借りてその裏に書き付けて返した歌である。澄んだ鏡に心も映るものならば、いくらなんでも今はあわれと見てくれるだろうか、と詠む。自分が覗き込んだ鏡に、姿だけでなく恋の心も映って残っているならば、それを見た女もきっと心を動かすだろうと、鏡に託して思いを伝えている。
作者の「藤原公衡朝臣」は右大臣藤原公能の子である。後徳大寺左大臣藤原実定の弟で、歌人として知られた。
初句「真澄鏡」は、よく澄んだ鏡、の意である。詞書の鏡を受ける。
二句「心も映る」は、姿だけでなく心も映る、の意である。
三句「ものならば」は、ものであるならば、の意である。
四句「さりとも今は」の「さりとも」は、いくらなんでも、の意で、今はきっと、という期待を表す。
結句「あはれとや見ん」の「や」は疑問の係助詞、「ん」は推量の助動詞「む」の連体形で、係り結びをなす。あわれと見てくれるだろうか、の意である。
ますかがみ:よく澄んだ鏡
さりとも:そうであっても。いくらなんでも
- 作者
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藤原公衡
- 出典
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千載和歌集
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ひたすらに恨みしもせじ先の世に 逢ふまでこそは契らざりけめ
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