恋をのみすがたの池にみ草ゐて
すまでやみなん名こそ惜しけれ
- 歌の意味
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恋ばかりをして、菅田の池に水草が生えて水が澄まないように、添い遂げることもなく終わってしまうのだろうか。浮き名だけが立つのが惜しいことだ。
- 鑑賞
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巻第十四 恋歌四 858
詞書は前の歌に続き「崇徳院に百首歌たてまつりける時、恋歌とて詠める」
前歌と同じく『久安百首』の恋の歌である。恋ばかりをして、菅田の池に水草が生えて澄まないように、添い遂げずに終わるのだろうか、浮き名こそ惜しい、と詠む。水草に覆われて澄むことのない池の姿に、結ばれることなく終わろうとする恋を重ね、恋が実らないまま噂だけが残ることを惜しむ心を表している。
作者の「待賢門院安芸」は待賢門院に仕えた女房である。久安百首の作者の一人として歌を詠んだ。
本歌から第八百六十首までは崇徳院に奉った久安百首の恋の歌が続き、一連をなしている。前歌の第八百五十七首と同じく初句を「恋をのみ」で始め、地名に恋を「す」る意を掛ける同じ形の歌で、二首が対をなしている。前歌が身を替えることを詠むのに対し、本歌は名を惜しむことを詠んでいる。
初句「恋をのみ」は恋ばかりを、の意である。前歌の第八百五十七首の初句と同じである。
二句「すがたの池に」の「すがたの池」は菅田の池のことで、その「す」に、恋をのみ「す」、すなわち恋ばかりをする、の意を掛ける。
三句「み草ゐて」の「み草」は水草のことで、「ゐる」は生えて覆う意である。水草が生えて、の意となる。
四句「すまでやみなん」の「すまで」は、池の水が「澄まで」の意と、男女が共に「住まで」すなわち添い遂げないで、の意を掛ける。「や」は疑問の係助詞で、「なん」と連体形で結ぶ。終わってしまうのだろうか、の意で、ここで句切れとなる。
結句「名こそ惜しけれ」の「名」は浮き名、噂のことである。「こそ」は強意の係助詞で、「惜しけれ」と已然形で結ぶ。前歌の結句が「身」を詠むのに対し、本歌は「名」を詠んで結んでいる。
すがたのいけ:菅田の池で、その「す」に、恋をのみ「す」の意を掛ける
みくさ:水草
すむ:池の水が「澄む」の意と、男女が共に「住む」の意を掛ける
- 作者
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待賢門院安芸
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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恋をのみしかまの市に立つ民の 絶えぬ思ひに身をや替へてん
- 次の歌
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露深き浅間の野らに小萱刈る 賤の袂もかくは濡れじを