大空の雨は分きてもそそがねど
潤ふ草木はおのがしなじな
- 歌の意味
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大空から降る雨は、草木を区別して注ぐわけではないが、潤う草木は、それぞれの性質に応じてさまざまである。
- 鑑賞
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巻第十九 釈教歌 1205
詞書「法華経薬草喩品の心を詠み侍りける」
法華経薬草喩品の心を詠んだ歌である。薬草喩品は、一つの雲から降る雨が大小の草木を等しく潤し、草木はそれぞれの性質に応じて育つという三草二木のたとえで、仏の教えは一つでも、受け取る衆生の資質によって得るところが異なることを説く。大空の雨は分け隔てして注ぐのではないが、潤う草木はそれぞれだ、と詠む。経文のたとえを平明な言葉で一首にまとめている。
作者の「僧都源信」は平安時代中期の天台宗の僧で、恵心僧都と呼ばれた。『往生要集』を著し、浄土教の広まりに大きな影響を与えた。
初句「大空の」は、広い空の、の意で、仏の教えの広大さを空にたとえている。
二句「雨は分きても」の「分く」は区別する意で、雨は仏の教えにあたる。前歌の第千二百四首の結句「分くぞはかなき」と「分く」を共有し、前歌が区別することのむなしさを、本歌が区別せずに注ぐ雨を詠んでいる。
三句「そそがねど」の「ね」は打消の助動詞「ず」の已然形、「ど」は逆接の接続助詞で、注がないけれど、の意である。
四句「潤ふ草木は」は、雨に潤される草木は、の意で、教えを受ける衆生にあたる。
結句「おのがしなじな」は、それぞれの品々、さまざまである、の意で、体言止めとなっている。
やくさうゆほん:法華経の一品、三草二木のたとえで仏の平等な教えを説く
しなじな:さまざまの種類、それぞれ
- 作者
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源信
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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世の中はみな仏なりおしなべて いづれのものと分くぞはかなき
- 次の歌
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求めてもかかる蓮の露をおきて 憂き世にまたは帰るものかは