求めてもかかる蓮の露をおきて
憂き世にまたは帰るものかは
- 歌の意味
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求めてでも得たいこのような蓮の露をさしおいて、つらい世の中にまた帰るものだろうか、帰りはしない。
- 鑑賞
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巻第十九 釈教歌 1206
詞書「菩提といふ寺に結縁の講し侍りける時、聴聞に詣でたりけるを、人のもとより、とく帰りねと言ひたりければ、遣はしける」
菩提という寺で仏縁を結ぶための講会が催された折、聴聞に出かけていたところ、ある人のもとから早く帰ってこいと言ってきたので、送った歌である。求めてでも得たいこの蓮の露をさしおいて、憂き世にまた帰るものか、と詠む。蓮の露は法華経の尊い教えをたとえたもので、ありがたい説法を聞かずに俗世へ帰れるものかと、帰りを促した相手にきっぱりと答えている。この折のことは『枕草子』にも記されている。
作者の「清少納言」は清原元輔の娘で、一条天皇の中宮定子に仕えた。『枕草子』の作者として知られ、中古三十六歌仙の一人に数えられる。
初句「求めても」は、求めてでも、の意で、自ら求めてでも得たいほど尊いことを言う。
二句「かかる蓮の」の「かかる」は、このような、の意で、「蓮」は泥の中から清らかに咲く花として、法華経の教えをたとえる。
三句「露をおきて」は六音の字余りである。「露」は蓮に置く露で、説法の尊い教えを言う。「おき」は、露が置く意と、さしおく意とを掛けている。
四句「憂き世にまたは」は、つらい俗世にふたたび、の意である。
結句「帰るものかは」の「ものかは」は反語で、帰るものだろうか、いや帰りはしない、の意である。
おく:露が置く意と、さしおく意とを掛ける
はちす:蓮
けちえん:仏道に縁を結ぶこと
ちやうもん:説法や講義を聞くこと
- 作者
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清少納言
- 出典
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千載和歌集
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大空の雨は分きてもそそがねど 潤ふ草木はおのがしなじな
- 次の歌
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月影の常にすむなる山の端を 隔つる雲のなからましかば