いつとても月見ぬ秋はなきものを
わきて今宵のめづらしきかな
- 歌の意味
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いつの年でも月を見ない秋はないのに、とりわけ今夜の月は見事なことだ。
- 鑑賞
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巻第六 秋歌中 325
詞書「八月十五夜」
いつの年でも秋に月を見ないことはないのに、とりわけ今夜の月は格別に見事だと詠んだ歌である。中秋の名月の美しさを、例年の秋の月と比べて称えている。
詞書によれば、八月十五夜、すなわち中秋の名月の夜に詠んだものである。次歌も同じ詞書のもとに八月十五夜の月を詠んでいる。
作者の藤原雅正は堤中納言藤原兼輔の子で、紫式部の祖父にあたる。
初句「いつとても」は、いつであっても、の意である。
二句「月見ぬ秋は」は、月を見ない秋は、の意である。
三句「なきものを」の「ものを」は逆接の接続助詞で、ないのに、の意である。
四句「わきて今宵の」の「わきて」は、とりわけ、の意である。次歌の第三百二十六首も四句に「わきて見ゆるは」を置き、同じ語で受けている。
結句「めづらしきかな」の「めづらし」は、すばらしい、見事だ、の意で、「かな」は詠嘆の終助詞である。
はちぐわつじふごや:陰暦八月十五日の夜、中秋の名月の夜
- 作者
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藤原雅正
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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秋の月常にかく照るものならば 闇に経る身はまじらざらまし
- 次の歌
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月影は同じ光の秋の夜を わきて見ゆるは心なりけり