神無月時雨ばかりを身に添へて
知らぬ山路に入るぞ悲しき
- 歌の意味
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十月、時雨ばかりを身の連れとして、見知らぬ山路に入っていくのは悲しいことだ。
- 鑑賞
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巻第八 冬歌 453
詞書「山へ入るとて」
十月、時雨だけを身の連れとして、見知らぬ山路に入っていくのは悲しいと詠んだ歌である。ほかに連れもなく、冷たい時雨に濡れながら山へ分け入る心細さを表している。
詞書によれば、山に入ろうとして詠んだ歌である。修行のため山へ入る僧の身の上を、初冬の時雨に重ねている。
作者の「増基法師」は、平安時代中期の僧で歌人である。家集に『増基法師集』があり、中古三十六歌仙の一人に数えられる。ただし後撰和歌集に見える増基と家集の増基を同一人物とするかについては異説がある。
初句「神無月」は、陰暦十月の異称で、本巻でたびたび置かれる語である。
二句「時雨ばかりを」の「ばかり」は限定を表す副助詞で、時雨だけを、の意である。
三句「身に添へて」は、身の連れとして、の意で、時雨を道連れにたとえている。
四句「知らぬ山路に」は、まだ知らない山の道に、の意である。
結句「入るぞ悲しき」は、係助詞「ぞ」と連体形「悲しき」が係り結びをなし、入っていくのは悲しいことだ、の意である。
そふ:そばに付き従わせる、連れとする
やまぢ:山の中の道
- 作者
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増基
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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頼む木もかれ果てぬれば神無月 時雨にのみも濡るるころかな
- 次の歌
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紅葉葉ををしき錦と見しかども 時雨とともにふりでてぞ来し