ちはやぶる神無月こそ悲しけれ
わが身時雨にふりぬと思へば
- 歌の意味
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十月こそは悲しいものだ。時雨が降るように、わが身も古びてしまったと思うので。
- 鑑賞
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巻第八 冬歌 469
詞書「題しらず」
十月こそは悲しいものだ、時雨が降るようにわが身も古びてしまったと思うので、と詠んだ歌である。時雨の降る神無月に、年老いていくわが身を重ねて嘆いている。
本巻の第四百五十首の二句と三句「わが身時雨にふりぬれば」とほぼ同じ表現を用いており、時雨と「古る」を重ねる趣向を共有している。
作者は「よみ人しらず」で、詠み手の名は伝わらない。
初句「ちはやぶる」は、本来「神」にかかる枕詞で、ここでは「神無月」の「神」にかけている。
二句「神無月こそ」の「こそ」は強めの係助詞で、十月こそは、の意である。
三句「悲しけれ」は、悲しいものだ、の意で、二句の「こそ」を受けて已然形で結ぶ係り結びとなっている。ここで句切れとなり、下の句がその理由を示す倒置となっている。
四句「わが身時雨に」は、わが身が時雨に、の意で、本巻の第四百五十首の二句と同じ句である。
結句「ふりぬと思へば」の「ふり」は、時雨が「降り」と、わが身が「古り」を掛けた掛詞である。
ふる:時雨が「降る」意と、我が身が「古る」意を掛ける
- 作者
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よみ人しらず
- 出典
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後撰和歌集
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霰降るみ山の里のわびしきは 来てたはやすく訪ふ人ぞなき
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