浅茅生の小野の篠原忍ぶれど
あまりてなどか人の恋しき
- 歌の意味
-
浅茅の生える小野の篠原の「しの」ではないが、忍んでいるけれど、こらえきれずに、どうしてこんなにあの人が恋しいのだろうか。
- 鑑賞
-
巻第九 恋歌一 577
詞書「人につかはしける」
浅茅の生える小野の篠原の「しの」ではないが、思いを忍んでいても、こらえきれずにどうしてこれほどあの人が恋しいのか、と詠んだ歌である。抑えきれずにあふれ出る恋心を、自らに問いかける形で表している。
小倉百人一首に採られた名高い歌である。古今和歌集の「浅茅生の小野の篠原忍ぶとも人知るらめや言ふ人なしに」を本歌とし、上の句をほぼそのまま用いている。
作者の「源ひとしの朝臣」は源等である。嵯峨天皇の曾孫にあたり、参議に至った。
初句「浅茅生の」は、丈の低い茅が生えている、の意である。
二句「小野の篠原」は、野の篠竹の原、の意で、初句から二句までが「しの」の同じ音で三句の「忍ぶれ」を導く序詞となっている。
三句「忍ぶれど」は、思いをこらえて隠しているけれど、の意で、「ど」は逆接の接続助詞である。
四句「あまりてなどか」は、こらえきれずにあふれて、どうして、の意で、「か」は疑問の係助詞である。
結句「人の恋しき」は、あの人が恋しいのか、の意で、四句の「か」を受けて連体形「恋しき」で結ぶ係り結びとなっている。
あさぢふ:丈の低い茅が生えている所
しのはら:篠竹の生えている原
あまる:こらえきれずにあふれ出る
- 作者
-
源等
- 出典
-
後撰和歌集
- 前の歌
-
雲居にて人を恋しと思ふかな 我は葦辺の鶴ならなくに
- 次の歌
-
雨止まぬ軒の玉水数知らず 恋しきことのまさるころかな