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わびぬれば今はた同じ難波なる
みをつくしても逢はむとぞ思ふ

歌の意味
思い悩んでしまったので、今となってはもう同じことだ。難波にある澪標のように、この身を尽くしてもあなたに逢おうと思う。
鑑賞
巻第十三 恋歌五 960

詞書「事出で来てのちに、京極御息所につかはしける」
 思い悩んでしまった今はもう同じことだ、難波の澪標のように身を尽くしても逢おうと思う、と詠んだ歌である。密通が露見して窮地に立った今、どうなっても同じだから命をかけても逢いたいと、激しい恋情をぶつけている。
 詞書によれば、二人の関係が世に知られて問題となった後に、京極御息所に送った歌である。京極御息所は藤原時平の娘褒子で、宇多法皇の寵愛を受けた女性である。難波は本巻の第九百四十一首、第九百四十三首にも詠まれている。小倉百人一首に採られた歌として名高い。
 作者の「もとよしのみこ」は元良親王である。陽成天皇の第一皇子で、色好みの風流人として知られる。

 初句「わびぬれば」は、思い悩んでしまったので、の意で、「ぬれ」は完了の助動詞「ぬ」の已然形、「ば」は確定の条件を表す。
 二句「今はた同じ」は、今となってはもう同じことだ、の意で、「はた」は、やはり、もはや、の意である。ここで句切れとなる。
 三句「難波なる」は、難波にある、の意で、四句の「みをつくし」にかかっている。
 四句「みをつくしても」は、身を尽くしても、の意で、「みをつくし」に難波の「澪標」と「身を尽くし」を掛けている。
 結句「逢はむとぞ思ふ」は、逢おうと思う、の意で、「ぞ」は強めの係助詞で、連体形「思ふ」で結ぶ係り結びとなっている。

わぶ:思い悩む、困り果てる
みをつくし:船の水路を示す杭の「澪標」と、「身を尽くし」を掛ける
作者
元良親王
出典
後撰和歌集
前の歌
身のならむことをも知らず漕ぐ舟は 浪の心もつつまざりけり
次の歌
いかにしてかく思ふてふことをだに 人づてならで君に語らん