忘られて年ふるさとの郭公
なにに一声鳴きてゆくらん
- 歌の意味
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忘れられて年を経た古里にやって来た郭公は、何のためにただ一声だけ鳴いて去っていくのだろう。
- 鑑賞
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巻第十四 恋歌六 1006
詞書「言ひわびて二年ばかり音もせずなりにける男の、五月ばかりにまうで来て、年ごろ久しうありつるなど言ひてまかりにけるに」
忘れられたまま年を経た古里の郭公は、どうして一声だけ鳴いて去っていくのだろう、と詠んだ歌である。二年ぶりに現れてすぐに帰っていった男を、五月に一声鳴いて飛び去る郭公にたとえ、そのつれなさを恨んでいる。
詞書によれば、言い寄るのに疲れて二年ほど音沙汰のなかった男が、五月ごろに訪ねて来て、長らくご無沙汰でしたなどと言って帰っていったので詠んだ歌である。五月は郭公の鳴く季節で、詞書の時節が歌の景物に生かされている。前歌まで続いた「年ふる」の嘆きを受け、本歌の「年ふる」には古里の意も重ねられている。本巻の第千二十首にも郭公が詠まれている。
作者は「よみ人しらず」で、詠み手の名は伝わらない。
初句「忘られて」は、忘れられて、の意で、「れ」は受け身の助動詞である。
二句「年ふるさとの」は、年を経た古里の、の意で、「ふる」に年が「経る」意と「古里」の意を掛けている。本巻の第千四首の結句「年をのみふる」と同じ「ふる」を用いている。
三句「郭公」は、初夏の五月に鳴く鳥で、詞書の五月の訪れと重ねて、たまにしか訪れない男をたとえている。
四句「なにに一声」は、何のために一声だけ、の意で、わずかな訪れを郭公の一声にたとえている。
結句「鳴きてゆくらん」は、鳴いて去っていくのだろう、の意で、「らん」は原因を推量する助動詞である。
ふるさと:年が経る意と、古里の意を掛ける
いひわぶ:言い寄るのに疲れ果てる
ほととぎす:初夏に鳴く鳥。和歌では五月の景物とされる
- 作者
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よみ人しらず
- 出典
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後撰和歌集
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絶えたりし昔だに見し打橋を 今はわたると音にのみ聞く
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訪ふやとて杉なき宿に来にけれど 恋しきことぞしるべなりける