絶えたりし昔だに見し打橋を
今はわたると音にのみ聞く
- 歌の意味
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橋が途絶えていた昔でさえ姿を見せてくれた打橋なのに、今はそれを渡って通り過ぎていくと、音にばかり聞いている。
- 鑑賞
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巻第十四 恋歌六 1005
詞書「男のただなりける時には常にまうで来けるが、物言ひて後は門より渡れどまうで来ざりければ」
仲の結ばれていなかった昔でさえ姿を見せた打橋を、今は渡っていくと音に聞くばかりだ、と詠んだ歌である。まだ他人であった頃のほうがよく訪れてくれたのに、親しくなった今は門の前を素通りしていく男の薄情を、打橋を渡る足音に寄せて恨んでいる。
詞書によれば、男がまだ深い仲でなかった頃にはいつも訪ねて来たのに、契りを結んでからは門の前を通っても立ち寄らなかったので詠んだ歌である。前の贈答が途絶えた年月を嘆いたのに対し、本歌は近くを通りながら訪れない相手を詠み、途絶えの別の形を示している。
作者は「よみ人しらず」で、詠み手の名は伝わらない。
初句「絶えたりし」は、途絶えていた、の意で、橋が架かっていない状態に、まだ仲の結ばれていなかった頃を重ねている。
二句「昔だに見し」は、昔でさえ姿を見た、の意で、「だに」は軽いものを挙げて重いものを類推させる副助詞である。
三句「打橋を」は、板を架け渡しただけの仮の橋を、の意である。
四句「今はわたると」は、今は渡って行くと、の意で、門の前を通り過ぎていくことを言っている。
結句「音にのみ聞く」は、音に聞くばかりだ、の意で、姿は見せず、通り過ぎる足音を聞くばかりであることを言っている。
うちはし:板を架け渡しただけの仮の橋。取り外しのできる橋
ただ:男女の深い仲になっていない間柄
- 作者
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よみ人しらず
- 出典
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後撰和歌集
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いにしへも今も心のなければぞ うきをも知らで年をのみふる
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忘られて年ふるさとの郭公 なにに一声鳴きてゆくらん