春々の数は忘れずありながら
花咲かぬ木を何に植ゑけん
- 歌の意味
-
毎年の春の数は忘れずに重ねていながら、花の咲かない木を、いったい何のために植えたのだろうか。
- 鑑賞
-
巻第十五 雑歌一 1078
詞書「返し」
春ごとの数を忘れずに年は重ねてきたのに、花の咲かない木をどうして植えたのだろうか、と詠んだ歌である。前歌の花の咲かない木のたとえを受けて、年ばかり重ねて官職を得られない自分を、植えられた甲斐のない木として自嘲している。
前歌の藤原時平の問いかけに対する友則の返しである。
作者の「とものり」は紀友則である。紀貫之の従兄で、古今和歌集の撰者の一人であったが、完成前に没した。のちに大内記となった。小倉百人一首には「久方の光のどけき春の日に」の歌が採られている。
初句「春々の」は、毎年の春の、の意で、年ごとに巡ってくる春を重ねている。
二句「数は忘れず」は、その数は忘れずに、の意で、春ごとに年を取ることを、春の数を忘れないと言っている。前歌の「四十年あまり」に応じている。
三句「ありながら」は、そうでありながら、の意で、「ながら」は逆接を表す。
四句「花咲かぬ木を」は、花の咲かない木を、の意で、前歌の「花の咲かずして」をそのまま受けて自分をたとえている。
結句「何に植ゑけん」は、何のために植えたのだろうか、の意で、「けん」は過去の事柄について推量する助動詞である。植えられた甲斐のない身を自嘲している。
はるはる:毎年の春
- 作者
-
紀友則
- 出典
-
後撰和歌集
- 前の歌
-
今までになどかは花の咲かずして 四十年あまり年切りはする
- 次の歌
-
世とともに峰へ麓へおりのぼり 行く雲の身は我にぞありける