この御幸千歳かへても見てしかな
かかる山伏時に逢ふべく
- 歌の意味
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この御幸を、千年を繰り返してでも見ていたいものだ。このような山伏の私が、またとない時に巡り合えるように。
- 鑑賞
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巻第十五 雑歌一 1092
詞書「法皇寺巡りしたまひける道にて、楓の枝を折りて」
この御幸を千年を繰り返してでも見ていたい、自分のような山伏がこうした時に巡り合えるように、と詠んだ歌である。法皇の寺巡りに出会えた喜びを述べ、詞書にある楓の名を「千歳かへても」に詠み込んでいる。
詞書によれば、宇多法皇が寺巡りをした道中で、楓の枝を折って詠んだ歌である。
作者の素性法師は、僧正遍昭の子で、出家して雲林院などに住んだ。三十六歌仙の一人で、小倉百人一首には「今来むと言ひしばかりに長月の」の歌が採られている。
初句「この御幸」は、この法皇のお出まし、の意で、「御幸」は上皇、法皇の外出をいう。
二句「千歳かへても」は、千年を繰り返してでも、の意で、「かへて」に詞書の「楓(かへで)」の名を詠み込んでいる。
三句「見てしかな」は、見たいものだ、の意で、「てしかな」は願望を表す。ここで句切れとなる。
四句「かかる山伏」は、このような山伏が、の意で、山中で修行する僧である自分をへりくだって言っている。
結句「時に逢ふべく」は、よい時に巡り合えるように、の意で、法皇の御幸という晴れの機会に出会えたことを喜んでいる。
かへで:楓。「千歳かへても」に名を詠み込む
やまぶし:山中に住んで修行する僧
みゆき:上皇や法皇のお出まし。御幸
- 作者
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素性法師
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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浜千鳥かひなかりけりつれもなき 人のあたりはなきわたれども
- 次の歌
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音に聞く松が浦島今日ぞ見る むべも心あるあまは住みけり