めづらしや昔ながらの山の井は
沈める影ぞ朽ち果てにける
- 歌の意味
-
久しぶりで珍しいことだ。長等山の山の井は昔のままだが、水に沈んで映る私の姿は、すっかり朽ち果ててしまったことだ。
- 鑑賞
-
巻第十六 雑歌二 1135
詞書「若う侍りける時は、志賀に常にまうでけるを、年老いてはまゐり侍らざりけるに、まゐり侍りて」
久しぶりに見る長等山の山の井は昔のままだが、水に映る自分の姿はすっかり朽ち果ててしまった、と詠んだ歌である。変わらない山の井と、老いて変わり果てた我が身とを対比し、久々の参詣に歳月の重さをかみしめている。
詞書によれば、若いころは志賀の寺にいつも参詣していたが、年老いてからは参らずにいたところ、久しぶりに参詣して詠んだ歌である。志賀の山越えの山の井は、古今和歌集の紀貫之の歌「むすぶ手のしづくに濁る山の井の」以来、名高い歌の題材となっている。
作者は「よみ人しらず」で、詠み手の名は伝わらない。
初句「めづらしや」は、久しぶりで珍しいことだ、の意で、「や」は詠嘆を表す。ここで句切れとなる。
二句「昔ながらの」は、昔のままの、の意で、「ながら」に志賀の長等山の名を掛けている。
三句「山の井は」は、山の湧き水をためた井は、の意である。本巻の第千百六十五首にも「山の井の水」が詠まれている。
四句「沈める影ぞ」は、水に沈んで映る姿は、の意で、「ぞ」は強意の係助詞で、結句の連体形「ける」で結ぶ係り結びとなっている。昔のままの山の井と対比している。
結句「朽ち果てにける」は、すっかり朽ち果ててしまったことだ、の意で、四句の「ぞ」を受けて結んでいる。老いた我が身の衰えを嘆いている。
ながら:昔のまま、の意の「ながら」と、近江国の長等山を掛ける
やまのゐ:山の湧き水をためた所
かげ:水に映った姿
くちはつ:すっかり朽ちてしまう
- 作者
-
よみ人しらず
- 出典
-
後撰和歌集
- 前の歌
-
思ひには消ゆるものぞと知りながら 今朝しもおきて何に来つらん
- 次の歌
-
宇治川の浪にみなれし君ませば 我も網代に寄りぬべきかな