春や来し秋や行きけんおぼつかな
陰の朽木と世を過ぐす身は
- 歌の意味
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春が来たのか、秋が去ったのか、はっきりしない。日の当たらない陰の朽ち木のようにして世を過ごしている身には。
- 鑑賞
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巻第十六 雑歌二 1175
詞書「山里に侍りけるに、昔あひ知れる人の、いつよりここには住むぞと問ひければ」
春が来たのか秋が去ったのかもはっきりしない、陰の朽ち木のように世を過ごす身には、と詠んだ歌である。いつからここに住んでいるのかと問われ、季節の移ろいさえ定かでないほど、世から忘れられて山里に埋もれてきた歳月を、日陰の朽ち木にたとえて答えている。
詞書によれば、山里に住んでいた時、昔の知人が、いつからここに住んでいるのかと尋ねたので詠んだ歌である。前歌に続き、山里に籠る女が旧知の人に答える歌となっている。
作者の閑院は、延喜のころの命婦で、閑院の御とも呼ばれた。生没年や出自は未詳で、藤原冬嗣の旧邸閑院にちなむ呼び名とみられる。
初句「春や来し」は、春が来たのか、の意で、「や」は疑問の係助詞、「し」は過去の助動詞「き」の連体形である。
二句「秋や行きけん」は、秋が去ったのか、の意で、初句と対になる言い方を重ねている。
三句「おぼつかな」は、はっきりしない、の意で、形容詞「おぼつかなし」の語幹で詠嘆を表す。ここで句切れとなる。
四句「陰の朽木と」は、日の当たらない陰の朽ち木として、の意で、世に忘れられた身をたとえている。巻頭の第千百二十五首の「日陰に生ふる身」と通い合う表現である。
結句「世を過ぐす身は」は、世を過ごしている身には、の意で、三句と倒置になっている。
くちき:朽ちた木。世に用いられない身をたとえる
- 作者
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閑院
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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あさなけに世の憂き事をしのびつつ ながめせし間に年は経にけり
- 次の歌
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世の中は憂きものなれや人言の とにもかくにも聞こえ苦しき