峰高み行きても見べき紅葉葉を
我がゐながらもかざしつるかな
- 歌の意味
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峰が高いので、本来は出かけて行って見るはずの紅葉を、私はここに居ながらにして髪に挿したことだ。
- 鑑賞
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巻第十八 雑歌四 1302
詞書「同じ心を」
峰が高いので行って見るべき紅葉を、居ながらにして挿頭にしたことだ、と詠んだ歌である。前歌と同じ北山遊びの折、高い峰まで行かずとも紅葉を手に取って楽しめた喜びを詠んでいる。
詞書によれば、前歌と同じ趣向で詠んだ歌である。
作者の坂上是則は、平安時代前期の歌人で、坂上田村麻呂の子孫とされる。三十六歌仙の一人で、小倉百人一首には「朝ぼらけ有明の月と見るまでに」の歌が採られている。
初句「峰高み」は、峰が高いので、の意で、「み」は原因、理由を表す。
二句「行きても見べき」は、出かけて行って見るはずの、の意である。
三句「紅葉葉を」は、紅葉を、の意で、前歌の三句「紅葉葉の」と同じ語である。
四句「我がゐながらも」は、私はここに居ながらにして、の意である。
結句「かざしつるかな」は、髪に挿したことだ、の意で、「かな」は詠嘆を表す。
かざす:草花などを髪や冠に挿す
- 作者
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坂上是則
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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思ひ出でて来つるもしるく紅葉葉の 色は昔に変はらざりけり
- 次の歌
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待つ人は来ぬと聞けどもあらたまの 年のみ越ゆるあふさかの関