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はかなくて世に経るよりは山科の
宮の草木とならましものを

歌の意味
はかなくこの世に生き長らえているよりは、山科の御陵の草木になってしまいたいものだ。
鑑賞
巻第二十 慶賀歌 1389

詞書「先帝おはしまさで、世の中思ひ嘆きてつかはしける」
 はかなく世に生き長らえるよりは、山科の御陵の草木となりたいものだ、と詠んだ歌である。醍醐天皇の崩御ののち、主君のいない世を生きる空しさを嘆き、いっそ御陵の草木となってそばに仕えたいと、深い哀惜を詠んでいる。
 詞書によれば、先帝の醍醐天皇がお亡くなりになり、世の中を思い嘆いて送った歌である。山科の宮は、山科にある醍醐天皇の御陵を指す。次歌は藤原兼輔の返しで、二首は贈答の一組となっている。
 作者の「三条右大臣」は藤原定方である。藤原高藤の子で、右大臣に至り、三条右大臣と呼ばれた。姉妹の胤子は醍醐天皇の生母で、天皇の叔父にあたる。小倉百人一首には「名にし負はば逢坂山のさねかづら」の歌が採られている。

 初句「はかなくて」は、はかなく空しく、の意である。
 二句「世に経るよりは」は、この世に生き長らえているよりは、の意である。
 三句「山科の」は、山城の国の山科の、の意である。
 四句「宮の草木と」は、御陵の草木と、の意で、次歌の初句と二句にそのまま受けられている。
 結句「ならましものを」は、なりたいものだ、の意で、「まし」は実現しない願望を表し、「ものを」は詠嘆を表す。

やましなのみや:山城の国の山科にある醍醐天皇の御陵
ふ:時を過ごす、生き長らえる
作者
藤原定方
出典
後撰和歌集
前の歌
宿見れば寝ても覚めても恋しくて 夢うつつとも分かれざりけり
次の歌
山科の宮の草木と君ならば 我はしづくに濡るばかりなり