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山科の宮の草木と君ならば
我はしづくに濡るばかりなり

歌の意味
あなたが山科の御陵の草木となるならば、私はその草木から落ちるしずくに濡れるばかりである。
鑑賞
巻第二十 慶賀歌 1390

詞書「返し」
 あなたが山科の御陵の草木となるならば、私はそのしずくに濡れるばかりだ、と詠んだ歌である。前歌の草木となりたいという嘆きを受け、それなら自分はその草木から落ちるしずく、すなわち涙に濡れるばかりだと、同じく先帝を悼む心を返している。
 前歌の三条右大臣藤原定方の歌に対する返しである。
 作者の「兼輔朝臣」は藤原兼輔である。藤原利基の子で、中納言に至った。賀茂川の堤に邸があったことから堤中納言と呼ばれ、三十六歌仙の一人に数えられる。紫式部の曾祖父にあたり、小倉百人一首には「みかの原わきて流るるいづみ川」の歌が採られている。

 初句「山科の」は、前歌の三句をそのまま受けている。
 二句「宮の草木と」は、御陵の草木と、の意で、前歌の四句をそのまま受けている。
 三句「君ならば」は、あなたがなるならば、の意である。
 四句「我はしづくに」は、私はしずくに、の意で、草木から落ちるしずくに涙を重ねている。
 結句「濡るばかりなり」は、濡れるばかりである、の意である。

しづく:草木から滴り落ちる水滴
作者
藤原兼輔
出典
後撰和歌集
前の歌
はかなくて世に経るよりは山科の 宮の草木とならましものを
次の歌
別れにしほどを果てとも思ほえず 恋しきことの限りなければ