いづ方に鳴きて行くらむ郭公
淀の渡りのまだ夜深きに
- 歌の意味
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どの方角へ鳴きながら行くのだろうか、ほととぎすは。淀の渡し場がまだ夜深いうちに。
- 鑑賞
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巻第二 夏歌 113
詞書「天暦御時屏風に、淀の渡りする人書ける所に」
まだ夜深い淀の渡し場で、鳴きながら飛び去っていくほととぎすの行方を思いやる歌である。闇の中で声だけが遠ざかっていく情景を、屏風に描かれた渡し場の旅人の心として詠んでいる。詞書によれば、村上天皇の天暦の御代の屏風に、淀の渡しを渡る人が描かれた場面に添えた歌である。
作者の「壬生忠見」は、平安時代中期の歌人で、壬生忠岑の子である。天徳四年の内裏歌合で平兼盛と競った歌で知られ、三十六歌仙に数えられる。
初句「いづ方に」は、どの方角に、の意である。
二句「鳴きて行くらむ」は、鳴きながら行くのだろうか、の意で、「らむ」は現在推量の助動詞である。ここで句切れとなり、下の句とは倒置の関係になる。
三句「郭公」は、夜深い空を鳴きながら飛ぶほととぎすをいう。
四句「淀の渡りの」は、山城国の淀の渡し場をいう。本巻の第百八首の淀川を受け、次歌の第百十四首でも淀野が詠まれ、淀を舞台とする歌が続く。
結句「まだ夜深きに」は、まだ夜が深いうちに、の意で、倒置によって時を後から示し、闇の中の声の印象を強めている。
わたり:川などを渡る所。渡し場
- 作者
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壬生忠見
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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誰が袖に思ひよそへて郭公 花橘の枝に鳴くらん
- 次の歌
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茂ることまこもの生ふる淀野には 露の宿りを人ぞかりける