尾上なる松の梢はうちなびき
波の声にぞ風も吹きける
- 歌の意味
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尾上の松の梢はなびき伏して、波の音のような声で風も吹いていることだ。
- 鑑賞
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巻第八 雑歌上 453
詞書「天暦の御時、名ある所を御屏風に描かせ給ひて、人々に歌奉らせ給ひけるに、高砂を」
高砂の尾上の松の梢がなびき伏し、風までもが波の音のような声で吹いていると詠む歌である。詞書から、村上天皇の御代に名所を描いた屏風のための歌で、高砂の絵に添えたものとわかる。海辺の名所である高砂の松を吹く風の音を、打ち寄せる波の声になぞらえ、絵の中に音を響かせている。前の二首の松風を受け、ここからは松を詠む歌が続いていく。
作者の「忠見」は、古今和歌集の撰者壬生忠岑の子で、平安時代中期の歌人である。天徳四年の内裏歌合で平兼盛と競った「恋すてふ」の歌で知られ、三十六歌仙に数えられる。
初句「尾上なる」は、山の頂にある、の意で、高砂の尾上をいう。「なる」は存在を表す助動詞「なり」の連体形である。
二句「松の梢は」は、松の木の先は、の意である。高砂の松は、本巻の第四百六十三首にも詠まれている。
三句「うちなびき」は、なびき伏して、の意で、風の強さを表している。
四句「波の声にぞ」は、波の音のような声で、の意で、「ぞ」は強意の係助詞である。前の二首の琴の音に続き、ここでは松風の音を波の声に見立てている。
結句「風も吹きける」は、風も吹いていることだ、の意で、係助詞「ぞ」を受けて連体形の「ける」で結んでいる。
をのへ:山の頂。ここでは播磨国の高砂の尾上
うちなびく:なびき伏す
- 作者
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壬生忠見
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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松風の音に乱るる琴の音を ひけば子の日の心地こそすれ
- 次の歌
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雨降ると吹く松風は聞こゆれど 池の汀はまさらざりけり