- 歌の意味
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ほととぎすは、誰の袖の香になぞらえて、花橘の枝で鳴いているのだろうか。
- 鑑賞
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巻第二 夏歌 112
詞書「題しらず」
花橘の枝で鳴くほととぎすは、その香りを誰の袖の香になぞらえて鳴いているのだろうかと思いやる歌である。花橘の香りが昔の人の袖の香を思い出させるという古来の発想を踏まえ、ほととぎすにも懐旧の情を見ている。
古今和歌集の「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」を踏まえた歌である。
初句「誰が袖に」は、誰の袖に、の意で、花橘の香りと袖の香を結びつける古今和歌集の歌を踏まえる。
二句「思ひよそへて」は、なぞらえて、の意である。
三句「郭公」は、花橘の枝で鳴くほととぎすをいう。前歌があやめ草とほととぎすを取り合わせたのに対し、本歌は花橘とほととぎすを取り合わせている。
四句「花橘の」は、初夏に白い花を咲かせ、香りの高い橘の花をいう。
結句「枝に鳴くらん」は、枝で鳴いているのだろうか、の意で、「らん」は原因推量の助動詞である。
はなたちばな:橘の花。初夏に香りの高い白い花を咲かせ、昔を思い出させるものとされた
よそふ:なぞらえる。見立てる
- 作者
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よみ人しらず
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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あしひきの山郭公今日とてや あやめの草のねにたてて鳴く
- 次の歌
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いづ方に鳴きて行くらむ郭公 淀の渡りのまだ夜深きに