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誰が年の数とかは見ん行き帰り
千鳥鳴くなる浜の真砂を

歌の意味
行き来しながら千鳥が鳴いている浜の真砂を、あなた以外の誰の年の数と見ようか。
鑑賞
巻第五 賀歌 296

詞書「右大臣源光の家に、前栽合し侍りける負けわざを、内舎人橘すけみがし侍りける、千鳥の形作りて侍りけるに、詠ませ侍りける」
 千鳥が行き来して鳴く浜の数えきれない真砂を、あなた以外の誰の年の数と見ようかと詠む歌である。無数の砂粒を主の齢の数に見立て、限りない長寿を祝っている。詞書によれば、右大臣源光の家で前栽合をした時、負けた側が催す負けわざの饗応を内舎人橘すけみが受け持ち、千鳥の形の作り物を作ったのに寄せて詠ませた歌である。
 作者の「つらゆき」は紀貫之である。古今和歌集の撰者の中心人物で、仮名序を執筆し、土佐日記を著した。三十六歌仙に数えられる。

 初句「誰が年の」は、誰の年齢の、の意である。本巻の第二百八十五首の「年の数」と同じく、齢を数えるものとして詠んでいる。
 二句「数とかは見ん」は、数と見ようか、の意で、「かは」は反語を表し、あなたの年の数としか見ない、の意となる。係助詞「か」を受けて連体形「ん」で結ぶ。ここで句切れとなり、倒置によって見るものを結句に示している。
 三句「行き帰り」は、行ったり来たりして、の意である。
 四句「千鳥鳴くなる」は、千鳥が鳴いているようだ、の意で、「なる」は推定の助動詞である。千鳥の「千」が数の多さを響かせ、前歌の松虫の声に続いて鳥の声が詠まれる。巻第四の第二百二十四首、第二百三十八首では千鳥は冬の寂しさを表したが、ここでは祝いの鳥として詠まれている。
 結句「浜の真砂を」は、浜の細かい砂を、の意で、数えきれないもののたとえである。

まさご:細かい砂。数えきれないもののたとえ
まけわざ:歌合や競技で負けた側が勝った側をもてなすこと
うどねり:天皇の身辺の雑務や警護にあたった官人。内舎人
せんざいあはせ:前栽の草花を持ち寄り、歌を添えて優劣を競う遊び
作者
紀貫之
出典
拾遺和歌集
前の歌
千年とぞ草むらごとに聞こゆなる こや松虫の声にはあるらん
次の歌
生ひ初むるねよりぞしるき笛竹の すゑのよ長くならんものとは